世界最高峰の育成クラブ、名門・アヤックスの歴代メンバーで世界選抜ができるかやってみた。
レアル・マドリード、バルセロナ、バイエルン・ミュンヘン、ユヴェントス、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッド、PSG…etc
タイトル獲得のために、豊富な資金力に物を言わせ、多くの名選手を獲得する。
しかし、過去、ビッグクラブの獲得リストに並ぶ選手たちのクラブ経歴には、多くの選手に、高い確率で「アヤックス」の文字が記載されていることに気づく。
「“アヤックス”っていうクラブは知っているけど、一体、誰がアヤックス出身?」
なんて思っている人、多いのでは。
世界最高峰の育成クラブである名門・アヤックスを知らないあなたへ。
アヤックス出身の選手だけで、世界選抜が出来るのは本当か。
「アヤックス出身の選手だけで、世界選抜が出来る!」なんて噂を耳にしたので、本当かどうか、今回は私が独断と偏見でメンバー11人を選び、確かめてみることに。(フォーメーション4-2-3-1)
なお、このスタメンに異論がある人は、Twitterのコメント欄にでも書いていただければ、ぜひぜひ参考にします。(笑)
GK:エドウィン・ファン・デル・サール
マンチェスター・ユナイテッドで長年ゴールマウスを守り、オランダ史上最高のゴールキーパーと評される、エドウィン・ファン・デル・サール。
196cmという長身から、「摩天楼」の愛称を持つ。
プレミアリーグでの連続無失点記録である1,311分は、未だ破られていない大記録である。
アヤックスの歴代GKで、ファン・デル・サールの右に出る者はいないだろう。
RSB:ミハエル・ライツィハー
94-95チャンピオンズリーグ優勝メンバーの1人であり、右サイドバックを主戦場としていたミハエル・ライツィハー。
97-04までバルセロナに所属し、バルセロナにおける『フィールドプレーヤーの公式戦連続無得点記録』となる173試合連続無得点記録保持者であったが、後に、ハビエル・マスチェラーノに記録を更新された。
CB:フランク・デ・ブール
デ・ブール兄弟の双子の兄であり、弟は、後に紹介する(予定)であるロナルド・デ・ブール。
FWを主戦場とする弟と違い、ポジションはCBやLSB。
アヤックスでチャンピオンズリーグ優勝を果たした後、弟のロナルドと共にバルセロナに移籍。
兄弟でリーガ・エスパニョーラ優勝を果たしたのは、サッカーファンの中では有名な話。
CB:ロナルド・クーマン
攻撃的なリベロとして活躍したロナルド・クーマン。
DFながら、DF選手史上最多となる535試合で193得点を決めている。
記録も凄いが、おそらくサッカーファンの記憶に残っているのは、ヨハン・クライフ率いるバルセロナに、悲願のビッグイヤーをもたらした91-92チャンピオンズリーグ決勝での直接フリーキックの場面。
G⚽️AL MORNING!!!
@RonaldKoeman
Wembley
1992 pic.twitter.com/IkqtehYIhg
豪快なシュートで数多くのゴールを決めてきたクーマンだが、彼には似合わない?ゴールシーンも。
Siempre será el héroe de Wembley…
¡Felicidades, @RonaldKoeman! pic.twitter.com/18Cln7R8LA
リオネル・メッシを彷彿とさせる?5人抜きからの、ループシュート。
ロナルド・クーマン、まさに、レジェンド。
LSB:マクスウェル
キャリア通算36ものタイトルを獲得したブラジル人DF。
このタイトル獲得数は、ダニエウ・アウベスと並んで、なんと歴代1位。
当時、クルゼイロからやって来た若干19歳の青年が、見知らぬ土地、オランダで成功するとは、誰も思ってもいなかっただろう。
マクスウェルは、アヤックス移籍1年目からコンスタントに試合に出場し、多くのタイトル獲得に貢献。
また、彼が足が速いことは周知の通りで、あのズラタン・イブラヒモヴィッチよりも足が速かったことは、コアなサッカーファンなら、知っているに違いない。
そのイブラヒモヴィッチとは、アヤックス、インテル、バルセロナ、PSGと共にクラブを渡り歩き、イブラヒモヴィッチと「優勝請負人」として、多くのタイトルを勝ち取った。
DMF:エドガー・ダーヴィッツ
常人離れした運動量と小柄ながら鍛え上げられた体を駆使し、フィールドを駆け巡って守備的な役割に従事。
ダーヴィッツの十八番でもある、強烈なスライディングタックルで、相手ボールを奪い取る。
その様はまさに”闘犬“のようで、彼の愛称にもなっている。
「ダイナモ」という言葉は、彼のためにある言葉に違いない。
DMF:フランク・ライカールト
アヤックスでリーグ優勝5回、国内カップ優勝3回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回、UEFAカップウィナーズカップ優勝1回を果たした実績は、アヤックスレジェンドでも一際と輝く。
彼なくして、アヤックス、オランダ代表のサッカーは成り立たないとまで言われるほどで、中盤の底で正確なパスを散らす大型MFの元祖と言っても過言ではないだろう。
「世界で最も価値のある選手」「トータルフットボール」と呼ばれた男は、当時、最も現代的なサッカー選手であり、引退後は監督としても活躍。
世界でも数少ない「名選手にして名監督」である。
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RMF:ヤリ・リトマネン
卓越した身体能力で圧倒的な違いを生み出す「フィンランドの英雄」。
リトマネンの懐の深さは、天下一品で、相手DF陣を混乱に陥れる、まさに天才MF。
“アイスマン“こと、デニス・ベルカンプの10番を引き継ぎ、彼をさしおいて「アヤックス史上最高の10番」との呼び声が高い。
OMF:デニス・ベルカンプ
全く無駄のないボールコントロール、味方すらも驚くアイデアで対峙するDFを手玉にとり、多くの芸術的なゴールを生み出した稀代のファンタジスタ。
そのプレーの落ち着きぶりからつけられた愛称は「アイスマン」。
そんなベルカンプを一躍有名にしたのは、彼のトラップの正確性。
ボールの勢いを吸収し、次のプレーに繋がる位置にボールを置く。
ベルカンプが「King of Trap」との呼ばれる所以である。
LMF:ヨハン・クライフ
ヨハン・クライフは「トータル・フットボール」の立案者であり、その体現者であった。
彼はピッチを誰よりも優雅に、そして、流れるように駆け抜け、人々を魅了し、その卓越した技術とインテリジェンスで1970年代のアヤックスとオランダ代表を世界のトップへと導いた。
「トータル・フットボール」という概念の誕生は、歴史上、最も大きな変化をもたらしたと同時に、スペクタクルで創造性豊かな攻撃的フットボールを愛する人々の記憶にヨハン・クライフという名前を刻み込んだ。
Johan Cruijff zou vandaag 71 jaar zijn geworden. Op zijn geboortedag genieten we van prachtige momenten van de grootste Ajacied aller tijden.#AJAX #Amsterdam Video https://t.co/QuJ2xvuHUy #JohanCruijff #JohanCruyff pic.twitter.com/PzHrTRIpLp
CF:マルコ・ファン・バステン
ロナウド、ラウル・ゴンザレス、リオネル・メッシ、クリスティアーノ・ロナウド、ルイス・スアレス、ズラタン・イブラヒモヴィッチ…etc
ここ20年で、多くの点取り屋が生まれ、彼らがメデイアで取り上げられる度に、「歴代最高の点取り屋」「史上最高の点取り屋」などと表記されることが多い。
しかし、私は確信している。
マルコ・ファン・バステンこそが「歴代最高の点取り屋」であることを。
世界のメディアは、彼を忘れてしまったのだろうか。
17歳で果たしたアヤックスでのデビュー戦、憧れのヨハン・クライフのピッチからの指名で、彼と交代でピッチに立つと、すぐさまゴールを決めるあたり、当時から才能の片鱗を感じさせた。
188センチと当時としては長身だが、足元の技術は一級品。
自らフリーキックも狙えるファン・バステンは、天性の得点嗅覚にも恵まれ、どのような状況でもゴールネットを揺らす。
バロンドール3度受賞、エールディビジ4年連続得点王、セリエAで2度の得点王獲得。
Prachtige beelden van 30 jaar geleden. Ajax wint de Europa Cup II. #Ajax1987 #AJAX #AjaxMuseum video Ajax.nl #MarcovanBasten pic.twitter.com/ozWirhfPne
アヤックス歴代メンバーで完成した、豪華な世界選抜
アヤックスの歴代メンバーで完成した、非常に豪華な世界選抜が完成したわけだが。
実は、選考にはかなりの時間を要し、そして、非常に悩んだ。(笑)
例えば、フランク・デ・ブールのとこで「後にロナルド・デ・ブールを紹介する(予定)」と書いていたのだが、挙げればキリがないほど、歴代の豪華アヤックスメンバーから選ぶのは難しく、彼を選べなかったというのが正直なところ。
なので、歴代アヤックスをもう1チーム作ってもなお、スタメンとなる11人が豪華な顔ぶれとなるであろうことは、サッカー好きのあなたなら容易に想像がつくだろう。
キャプテンシー溢れるダニー・ブリントは、アヤックスには欠かせない存在。
「フランク・デ・ブール2世」とも呼ばれるヨニー・ハイティンハ。
数多くの名選手を輩出したアヤックス・アカデミーにおいて「最高傑作」と言われているクラレンス・セードルフ。
異なる4つの国(オランダ・スペイン・イタリア・トルコ)でリーグ戦とカップ戦を制した、オランダ代表最多出場記録を持つウェズレイ・スナイデル。
ヨハン・クライフと共に「Royal Pair」と呼ばれたピート・カイザー。
197cmと高身長ながら高い技術力と長い足で、相手DFを翻弄したヌワンコ・カヌー。
他にも、パトリック・クライファートやルイス・スアレス、ズラタン・イブラヒモヴィッチなどなど。
フォーメーションはやっぱり3-4-3?
いま思えば、「3-4-3でフォーメーションを組めばよかった」と、少しだけ後悔していたり。
アヤックスと言えば、3-4-3中盤ダイヤモンド。
94-95チャンピオンズリーグ優勝時のフォーメーションも3-4-3。
当時のスタメン11人は
GK:ファン・デル・サール
RSB:ライツィハー
CB:ブリント
LSBフランク・デ・ブール
DMF:ライカールト
RMF:セードルフ
LMF:ダーヴィッツ
OMFリトマネン
RWG:フィニディ・ジョージ
LWG:オーフェルマルス
CF:ロナルド・デ・ブール
失速した90年代後半のアヤックスとボスマン判決
3つ以上の多くのポジションをアカデミー時代から経験させ、有望な選手を高値で移籍させるビジネスを貫くアヤックス。
しかし、ボスマン判決(95年12月)以来、資金力が豊富なビッグクラブに有望な選手が引き抜かれることが多くなり、96-97チャンピオンズリーグでのベスト4を最後に、欧州での大舞台でアヤックスの名前を聞くことは無くなった。
きっと、ボスマン判決さえなければ、今ごろ、アヤックスが欧州を、いや、世界を席巻していただろう。