「ヒエラルキー」なんて言葉は、今はあまり使わないだろうか。
こと、サッカーに限ったことではないが、スポーツ全般で、いや、日常の生活にも、この実力的な「ヒエラルキー」は存在する。
「ヒエラルキー」は、ピラミッド型の段階的な組織構造であり、上の三角形に行けば行くほど、人数は少なくなり、下に行けば行くほど、その人数は多くなる。
サッカーで説明しよう。
トップの1列目には、バロンドール受賞者が並ぶ。
2列目にはバロンドール候補者が、3列目には世界有数のトップクラブで活躍する選手たちが。
簡単に説明しただけなので、詳しく説明すればもっと細かく分けられるのではないかと思う。
さて、具体的な名前を明言することは避けるが、現在、トップに君臨する選手は、おそらく2人。
双方ともに優劣はつけにくく、プレースタイルも全く違うため、比較することは非常に難しいが、どちらとも世界最高の選手であることに変わりない。
そして、誰もがわかっていることではあるが、光が当たるのはどうしてもトップの人間になってしまう。
これは仕方のないことで、メディアやスポーツバーで話されるサッカー談義は、必ずと言って良いほど話題はその2人になりがちだ。
“光”であるトップの2人以外は、サッカー界の”陰”であり、トップ2人に対しての負け組とも取れる。
さて、この男は果たして”陰”であり、負け組なのか。
イニエスタは、幼少期よりバルセロナの下部組織であるカンテラに所属し、これまでバルセロナ一筋。
類稀なパスセンスと懐が深いボールキープ力、どんな局面をも打開することのできるドリブル突破は、世界でもトップクラス。
バロンドールに匹敵する実力と、受賞に値する成績を、これまでおさめてきた。
しかし、そんな彼がバロンドールを受賞したことは、これまで一度もない。
なぜなら、輝かしい成績をおさめてきた”スター”イニエスタのそばには、バルセロナには、いつも”スーパースター”の存在があったからだ。
いつもイニエスタのそばにいたスーパースターの存在
イニエスタのそばにいつもいた”スーパースター”の存在。
18歳でトップへ昇格すると、パトリック・クライファート、ルイス・エンリケ、リケルメなど錚々たるメンツがスタメンに名を連ねていた
そして翌シーズン、ロナウジーニョがPSGから加入した。
このスーパースターの活躍について、今更ここで言うこともないだろう。
そしてロナウジーニョが去ると、新たなスーパースターが世界を魅了する。
世界最高の選手の1人であるアルゼンチン人FWについても、ここで私が説明する必要もないだろう。
イニエスタのそばには、いつもスーパースターの存在がいた。
はたしてイニエスタはバルセロナで幸せだったのか
上昇志向のある人間であるならば、上のランクを目指すのは必然のこと。
しかし、いつの日か、ヒエラルキーという階層の中で、自分の立ち位置を理解する。
現に、世界最高の選手である2人には敵わない、とコメントする選手は多く存在する。
もし、バルセロナにロナウジーニョがいなかったら。
もし、カルロス・レシャックがあの時、13歳の少年と紙ナプキンを使って契約しなかったら。
イニエスタはバルセロナでTOPのプレイヤーになっていただろうか。
ポルトガル人FWと共に、バロンドールを取り合っていただろうか。
はたして、イニエスタは2人のスーパースターがいたバルセロナで幸せだったのだろうか。
少なくとも、彼に憧れてサッカーを始めた少年が1人でもいれば、それはプロサッカー選手として最高の幸せだと思う。
https://youtu.be/C_OaKYKUKWI
出典:YouTube