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世界中を賑わせた禁断の移籍だけではない、過去にも移籍問題だらけだったフィーゴのサッカー人生。

   

世界中を賑わせた禁断の移籍から15年。ルイス・フィーゴはいまだバルセロナのサポーターから許されていない。

2000年夏、バルセロナから宿敵レアル・マドリードへ移籍したフィーゴは当時のことを

「あれほど多くの人から敵視される雰囲気を味わったスポーツ選手は決してこの世にいないだろう」と。

しかし、彼の移籍問題はこれだけでなかった。移籍問題だらけだったフィーゴのサッカー人生とは。

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母国ポルトガルのスポルティング・リスボンでキャリアをスタートさせたフィーゴは、当時、財政的にあまりよろしくなかったクラブとの契約に不満を持っており、それを知ったベンフィカはすぐにフィーゴと契約。これに焦ったスポルティングはフィーゴが満足する契約を提示。これに満足したフィーゴはスポルティング残留を決める。しかし、2チームと契約してしまったフィーゴは、二重契約状態となり、45日間の出場停止処分が下されることに。この時、フィーゴ16歳。

22歳となったフィーゴは、その年、最優秀選手賞を獲得したが、スポルティングが提示した契約内容は、他の選手よりも低い金額だったという。これに怒ったフィーゴは、移籍を視野に入れることに。これに真っ先に反応したのが、セリエAのユヴェントス。ユヴェントスと仮契約を結んだ後に、より好条件を提示してきたパルマと正式契約書にサインする。これを聞いたスポルティングサポーターは、フィーゴを裏切り者としてのレッテルを貼り、フィーゴはチームに残留することは困難に。しかし、ここで、またも浮かび上がった二重契約問題。1995年1月、フィーゴはユヴェントスに正式契約書にサインしないと告げると、怒ったのはユヴェントス。ユヴェントス、パルマから決断を迫られたイタリアフットボールリーグは、「フィーゴが今後二年間、イタリアのクラブに属してプレーする事を禁止する」というものであった。

「まじか…どうしよ…」状態になったフィーゴ。スポルティングには戻れない、ポルトガル国内のライバルチームには行けない、イタリアにも行けない、という状況になったフィーゴは、新天地としてスペインを選ぶことに。交渉末にバルセロナとレアル・マドリードの2チームに絞り、最終的に彼が選んだのはバルセロナであった。

バルセロナで欧州最優秀選手賞を獲得したフィーゴが、この後とった行動は、冒頭にあった禁断の移籍である。

禁断の移籍以前にも、キャリア初期からフィーゴは移籍問題を起こし、そして徐々に有名になっていき、世界屈指の右ウインガーとして大成した。

しかし、古巣と関係がこじれるような騒動を起こしてきたフィーゴを拍手して迎えるチームはいるだろうか。

これが、将来的におそらくFIFA会長を目指すであろうフィーゴにとって向かい風とならなければ良いのだが。

 

 

出典:YouTube

 

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