ロナウジーニョの心からサッカーを楽しんでいる姿に、私たちは惚れた。彼なら窮地に追い込まれたバルセロナを救えるかもしれないと。
03年夏にバルセロナへと移籍してきたロナウジーニョ。前の年の02年日韓W杯での活躍により、パリでプレーしていたロナウジーニョの名は世界中へと広まった。イングランド戦でのGKシーマンの頭上を越えるフリーキックを決めたロナウジーニョは、当時3R(リバウド、ロナウド、ロナウジーニョ)と呼ばれ、日韓W杯優勝を果たしていた。
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バルセロナへとやってきたロナウジーニョだが、チームは窮地に追い込まれていた。98-99シーズンにバルセロナBからシャビが昇格、01年夏にサビオラを獲得し、02-03シーズンにバルセロナBからイニエスタ、ビクトール・バルデスを昇格させるも、02年まで4季連続で無冠に終わり、ライバルであるレアル・マドリードには全く歯が立たない状況であった。
ロナウジーニョが移籍してきた03-04シーズンこそ無冠に終わるものの、翌年にはメッシをバルセロナBから昇格。リーガ・エスパニョーラ優勝を果たすと、05-06シーズンは欧州CL優勝を果たすなど3冠を達成。ロナウジーニョのバルセロナ移籍を契機に、サッカーは違えど、90年代のあの強かったバルセロナが戻ってきたのである。
メッシは当時のことを「ロナウジーニョがバルサに変化をもたらすきっかけとなったんだ」と。続けて「あの頃はバルサにとってつらい時代だった。しかし、ロナウジーニョの加入とともにもたらされた変化は、とんでもないものだった。最初の年に、僕らはタイトルを取れなかったが、人々はみんな彼に惚れたんだ。その後、タイトルが取れるようになり、あらゆる人を幸せにした。彼の実績に対して、バルサは永遠に感謝すべきだと思うよ」とコメント。
そんなロナウジーニョですが、バルセロナ移籍には裏側が。実はバルセロナよりマンチェスター・ユナイテッドに移籍する可能性のほうが高かったとのこと。ロナウジーニョは「マンUに行く可能性の方が高かったね。あと48時間で決まるというところまでいったんだ。だけど、マンUからのオファーを受ける前に (2010年7月から2014年1月までバルセロナの会長職を務めた) サンドロ・ロセイと話す機会があった。当時のロセイは僕に、会長になったらクラブに来てくれないかと尋ねてきたんだ。ロセイと話したとき、マンUとの契約は詳細を詰めるだけだった。その後、ロセイは会長選挙で勝ちそうだと伝えてきたんだ。僕は、彼との約束を守るためにバルサ移籍を選んだんだ。即決だったよ。僕はマンUにも、そのことを伝えたんだ」と。
結果的にロセイは会長選挙に敗れるものの、バルセロナ副会長に就任。ロナウジーニョに移籍を決心させたロセイには、ファンは頭が上がりませんね。
今でも多くのファンに愛されているロナウジーニョ。先日、メッシからこんな贈り物をされたそう。
先日、かつてのチームメイトであるロナウジーニョを驚かせようと、バルセロナの背番号「10」のユニフォームを送ったメッシ。ユニフォームには「僕の友人、ロニーへ。愛を込めて。大きなハグを!」とメッセージ。 pic.twitter.com/i6kXwiFvfI
— サッカー好きのための拾い読み速報 (@soccer_soku) 2015, 12月 9
メッシのプロ初ゴールをアシストしたロナウジーニョ。バルセロナの新旧「10番」は、いまでも互いに尊敬し合い、変わらぬ友情を持っていた。
https://youtu.be/MuPXdrkzdjo
出典:YouTube