彼は決して上手い選手ではない。しかし、オシムは彼を20試合全てで先発起用した。
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経歴上、彼は名門清水FCに加入して全日本少年サッカー大会準優勝を果たし、東海大学第一中(現・東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部)では全国制覇をも成し遂げたエリートの一員だが、鈴木啓太自身も「俺はうまくない」と自負する。
イビチャ・オシムはそんな彼を愛した。ボールを持っていない選手がサポートのためにピッチを走り回る選手の呼称である「水を運ぶ人」の象徴として、鈴木啓太はオシムが率いた日本代表20試合全てで先発出場した。
とにかくピッチを駆け回るその姿に、オシムは彼に何も言わずに全ての試合で先発起用し続けた。彼の危険察知能力はずば抜けている。まさにマケレレといったところか。
オシムが倒れ、日本代表監督を辞すると同時に、日の丸を背負ってピッチを駆け回る鈴木啓太の姿は見えなくなった。監督によってこれだけ評価が異なる選手もそういないだろう。
そして鈴木啓太は今季で限りでの現役引退を決意した。不整脈発覚後、出場機会は徐々に減少し、ベンチから試合を見る機会も多くなった。他チームへの移籍という選択肢もあっただろうが、彼は最後まで浦和にこだわった。
もし、仮に、オシムが倒れないで日本代表を率い、南アフリカW杯に出場していたなら、鈴木啓太はきっとそこにいただろう。その後の彼のキャリアも全く異なっていたに違いない。
出典:YouTube