【大人の事情で運命が左右された?】バロンドールを受賞したことがない名選手3選(MF編)

【大人の事情で運命が左右された?】バロンドールを受賞したことがない名選手3選(MF編)

毎年、”ヨーロッパ”の年間最優秀選手に贈られる賞であるバロンドール。

いわゆる“世界一”の選手に贈られるバロンドールは1956年に創設され、候補者は30名、最終候補者の発表はなく、投票は”ジャーナリストのみ”によって行われる。

このバロンドールは、毎年1人しか選ばれない名誉ある賞である故に、レジェンド級の活躍をしてきたスタープレーヤーが受賞していないなんてことはザラに起きる。

「え?なんでこの人が選ばれていないの?おかしいでしょ!」

っていう名選手を3人挙げてみる。

今回は、意外とスーパースターに隠れがちであるMF編。

彼らは「大人の事情」で運命を左右された?と言っても過言ではない。

その前に、歴代のバロンドール受賞者を並べてみる。

 

歴代バロンドール受賞者をリストアップした記事はこちら

 

 

2018年 ルカ・モドリッチ(クロアチア/レアル・マドリード)
2017年 クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル/レアル・マドリード)
2016年 クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル/レアル・マドリード)
2015年 リオネル・メッシ(アルゼンチン/バルセロナ)
2014年 クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル/レアル・マドリード)
2013年 クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル/レアル・マドリード)
2012年 リオネル・メッシ(アルゼンチン/バルセロナ)
2011年 リオネル・メッシ(アルゼンチン/バルセロナ)
2010年 リオネル・メッシ(アルゼンチン/バルセロナ)
2009年 リオネル・メッシ(アルゼンチン/バルセロナ)
2008年 クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル/マンチェスター・U)
2007年 カカ(ブラジル/ミラン)
2006年 ファビオ・カンナバーロ(イタリア/ユヴェントス)
2005年 ロナウジーニョ(ブラジル/バルセロナ)
2004年 アンドリュー・シェフチェンコ(ウクライナ/ミラン)
2003年 パヴェル・ネドヴェド(チェコ/ユヴェントス)
2002年 ロナウド(ブラジル/レアル・マドリード)
2001年 マイケル・オーウェン(イングランド/リヴァプール)
2000年 ルイス・フィーゴ(ポルトガル/レアル・マドリード)
1999年 リヴァウド(ブラジル/バルセロナ)
1998年 ジネディーヌ・ジダン(フランス/ユヴェントス)
1997年 ロナウド(ブラジル/インテル)
1996年 マティアス・ザマー(ドイツ/ドルトムント)
1995年 ジョージ・ウェア(リベリア/ミラン)
1994年 フリスト・ストイチコフ(ブルガリア/バルセロナ)
1993年 ロベルト・バッジョ(イタリア/ユヴェントス)
1992年 マルコ・ファン・バステン(オランダ/ミラン)
1991年 ジャン・ピエール・パパン(フランス/マルセイユ)
1990年 ローター・マテウス(ドイツ/インテル)
1989年 マルコ・ファン・バステン(オランダ/ミラン)
1988年 マルコ・ファン・バステン(オランダ/ミラン)
1987年 ルート・フリット(オランダ/ミラン)
1986年 イゴーリ・ベラノフ(ソ連/ディナモ・キエフ)
1985年 ミシェル・プラティニ(フランス/ユヴェントス)
1984年 ミシェル・プラティニ(フランス/ユヴェントス)
1983年 ミシェル・プラティニ(フランス/ユヴェントス)
1982年 パオロ・ロッシ(イタリア/ユヴェントス)
1981年 カール・ハインツ・ルンメニゲ(西ドイツ/バイエルン)
1980年 カール・ハインツ・ルンメニゲ(西ドイツ/バイエルン)
1979年 ケヴィン・キーガン(イングランド/ハンブルガーSV)
1978年 ケヴィン・キーガン(イングランド/ハンブルガーSV)
1977年 アラン・シモンセン(デンマーク/ボルシアMG)
1976年 フランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ/バイエルン)
1975年 オレグ・ブロヒン(ソ連/ディナモ・モスクワ)
1974年 ヨハン・クライフ(オランダ/アヤックス)
1973年 ヨハン・クライフ(オランダ/アヤックス)
1972年 フランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ/バイエルン)
1971年 ヨハン・クライフ(オランダ/アヤックス)
1970年 ゲルト・ミュラー(西ドイツ/バイエルン)
1969年 ジャンニ・リヴェラ(イタリア/ミラン)
1968年 ジョージ・ベスト(北アイルランド/マンチェスター・U-)
1967年 アルベルト・フローリアン(ハンガリー/フェレンツ・ヴァーロシュ)
1966年 ボビー・チャールトン(イングランド/マンチェスター・U)
1965年 エウゼビオ(ポルトガル/ベンフィカ)
1964年 デニス・ロー(スコットランド/マンチェスター・U)
1963年 レフ・ヤシン(ソ連/ディナモ・モスクワ)
1962年 ヨゼフ・マソプスト(チェコスロバキア/ドゥクラ・プラハ)
1961年 オマール・シヴォリ(イタリア/ユヴェントス)
1960年 ルイス・スアレス(スペイン/バルセロナ)
1959年 アルフレッド・ディ・ステファノ(スペイン/レアル・マドリード)
1958年 レイモン・コパ(フランス/レアル・マドリード)
1957年 アルフレッド・ディ・ステファノ(スペイン/レアル・マドリード)
1956年 スタンリー・マシューズ(イングランド/ブラックプール)

 

 

多くの読者と珍しく意見が一致したような気がしたGK編はこちら

・記事作成中

 

筆者が独断と偏見で選びすぎて、読者から少し怒られたDF編はこちら

 

選ぶのにかなりの時間を要した割には、そこまで好評でもなかったFW編はこちら

 

 

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▼アンドレス・イニエスタ(元スペイン代表/FCバルセロナ)

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ヴィッセル神戸に来てから、少しだけ親近感が湧いているのは筆者だけではないはず。だが、思い出してほしい。彼はあのバルセロナ600試合以上も出場し、幾多のビッグタイトルを獲得してきたということを。

アンドレス・イニエスタは、カンテラ史上最高傑作と言われている。筆者は彼が「バロンドールを受賞できなかった名選手」のNo.1の座に君臨しているとみている。これに異論は認めないし、異を唱える者もいないはず。

ちなみに、最もバロンドールを受賞する可能性があったのは2010年

特に、2010南アフリカW杯では、オランダ代表との決勝でゴールを決め、スペインのW杯初優勝に大きく貢献。また、所属するバルセロナでもリーガ・エスパニョーラを連覇。2010年のバロンドール受賞者は後述するもう1人と、この天才MFのどちらかだとの見方が強かった。

しかし、受賞したのはバルセロナの同僚でもあるリオネル・メッシ

この瞬間、多くの人が思ったはずだ。バロンドールを受賞するにあたり、W杯はあまり重要ではないのだと。チームのために自らを犠牲にするスタイルは最終的に彼個人の才能の認知を奪われることとなってしまった。

残念なのは、カンテラ史上最高傑作である彼が、今後、バロンドールを受賞する確率は限りなくゼロに近いだろうということ。世界は、サッカー史に天才的MFを1人、書き込むのを忘れたことを後悔するだろう。

 

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▼シャビ・エルナンデス(元スペイン代表/FCバルセロナ)

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「はぁ、イニエスタときたら、やっぱりシャビだよな…変に期待した自分がバカだった…」

この記事を読んでいる読者はそれを分かってはいるが、そうではない記事を読みたいから、おそらくこれを読んでいる。

だが!

ちょっとしたサプライズに期待を込めている読者には大変申し訳ないのだが、その期待通りにはなりそうもない。(笑)

前述したアンドレス・イニエスタと共に、バルセロナを、いや、”リオネル・メッシ“を上手く”操縦”していたシャビ・エルナンデス。シャビなくして、現在のメッシは存在しない。それはアルゼンチン代表でのメッシを見れば、誰の目から見ても明らか。

スペイン代表ではイニエスタの他に、セスク・ファブレガスダビド・シルバを含めた”クアトロ・フゴーネス“(4人の創造者)に加えて、中盤の底に君臨するマルコス・セナで構成されたスペインは欧州を圧倒。EURO2008を制し、2010南アフリカW杯優勝、EURO2012で連覇も達成。

しかし、これまでシャビがバロンドールのトロフィーを掲げてスピーチすることはなく、そしてこれからもないだろう。

バルセロナとスペイン代表の衰退が、シャビが衰退していった時期と被るのは、おそらく偶然ではない。

 

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▼ウェズレイ・スナイデル(元オランダ代表/インテル・ミラノ)

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古くからバロンドールはサッカー選手にとって、最も名誉ある個人賞であり、それを獲得できるのは毎年1人だけ。それだけに、多くの名選手がそれを目指しプレーする。オランダ代表最多出場記録(134試合)を持つオランダ人MFは、大人の事情に振り回され、最もその影響を受けたと言っても過言ではない。

ジョセフ・ブラッターは、1991年に設立した「FIFA年間最優秀選手賞」がバロンドールの陰に隠れ、選手にとっては二次的な賞にすぎなかったため、2010年より、「FIFAバロンドール」として統合した。

バロンドール」から「FIFAバロンドール」になり、大きく変更されたのは投票方法。「バロンドール」では厳選されたジャーナリストのみで投票される。しかし、「FIFAバロンドール」では各国代表の監督とキャプテン、そして各国ジャーナリストを含めた約400人が投票権を持ち、1位に5ポイント・2位に3ポイント・3位に1ポイントが与えられ、合計ポイントで決められる。

 

他に変更された主なルールは以下の3つ。

1.受賞の候補者は23名→30名となる

2.最終候補者3名の発表の廃止

3.受賞者と最終的なランキングは年末に発表される

 

そしてこの、「バロンドール」から「FIFAバロンドール」に変更されたのが2010年。

冒頭で述べたように、この影響を最も受けたのがオランダ代表MFでインテルの所属していたウェズレイ・スナイデルである。

従来の投票方法であるジャーナリスト投票では、チャンピオンズリーグ優勝を含む3冠を達成し、2010南アフリカW杯ではオランダ代表を決勝に導く活躍を果たしたウェズレイ・スナイデルがトップ。本来ならこの時点でスナイデルが「バロンドール」受賞なのだが、監督票とキャプテン票を集めたリオネル・メッシが「FIFAバロンドール」を受賞した。

 

順位 選手 監督票 主将票 記者票
1 リオネル・メッシ 9.72 8.55 4.38
2 アンドレス・イニエスタ 5.39 4.44 7.53
3 シャビ・エルナンデス 5.34 5.17 5.96
4 ウェズレイ・スナイデル 3.00 3.79 7.70

 

 

うむうむ、インテルファンよ、文句を言いたい気持ちもわかる。しかし、受賞したのはメッシ。メッシ本人が「受賞するとは思っていなかった」との発言は謙遜ではない、きっと彼の本音だろう。

ファンもびっくり、受賞した本人もびっくり。

この衝撃をサッカーがあまりわからない人に説明すると、「『世にも奇妙なナントカナントカ』なんていうテレビ番組が1年に何回か放送されているけれど、サングラスでベールに包まれている某大御所芸人も、びっくりしすぎて思わずサングラスを取ってしまうくらいの衝撃」。

 

…筆者の語彙力の貧しさが驚くほど露呈してしまったところで。

 

個人的に、2010年で最もスナイデルが輝いていたのは、2010南アフリカW杯準々決勝vsブラジル。ちなみに、この大会屈指の好カードの主審を務めたのは日本の西村雄一さんでした。

 

 

出典:YouTube

 

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